プロダクションノート

第13回本屋大賞を受賞したほか、第154回直木賞ノミネート、キノベス!2016第1位など数々の話題を集めた人気小説『羊と鋼の森』。東宝の石黒裕亮プロデューサーは、この小説が、“調律師”という特殊な職業を描いていること、知っているようで知らない“音”の奥深い世界を扱っていること、そして何よりも、この物語の持つ普遍性に魅力を感じたと言う。「読めば読むほど、主人公の外村の話は、自分の話だなと思ったんです。調律師に限らず、仕事をしている人すべてに当てはまる物語。だからこそ、映画化したいと思いました」。原作者の宮下奈都も、その熱意を受けて映画化を快諾。
脚本の金子ありさと制作陣は、森の匂い、気配、音を感じさせるような小説の世界観を大切に、そこに描かれている日常を過剰にドラマティックにすることなく、2時間の脚本にまとめていった。「原作は静かな空間に一音が流れていくような世界観なので、その一音を大切にする心を映画も守りたかったんです」と石黒Pは語る。

企画が立ち上がった当初から、石黒Pは、主演・山﨑賢人、監督・橋本光二郎という、『orange -オレンジ-』でもタッグを組んだ二人の起用を決めていた。二人の間の信頼関係も知っていたし、橋本監督の丁寧な演出は、まっすぐひたむきに仕事に取り組む登場人物たちの姿や、本作の「こつこつがんばる」世界観を映像化するのにぴったりだと考えたのだ。また、主人公が成長する姿は、山﨑賢人自身の役者としての成長に重ね合わせることができるはず。「山﨑くんは、ある意味、外村だと思ったんです。俳優という仕事のなかで、ラブストーリーを中心とした高校生を多く演じてきましたが、年齢的にもキャラクター的にも役者としての新たな一段を登る時期に来ている。役とオーバーラップして、彼自身が滲み出てほしいという思いがありました」
外村を導いていく調律師・板鳥は、重要なキャラクターでありながら、実は登場シーンもセリフもそれほど多くない難役。板鳥の職人としての力量や、厳しさ、優しさを醸し出せる役者として制作陣が熱望したのが、三浦友和だった。三浦は、すでに原作を読んでおり、オファーを快諾する。そして、外村を優しく、時に厳しく指導する兄のような存在の先輩・柳役には、包み込む優しさと明るさのある鈴木亮平。劇中、柳の悩める過去も明らかになるが、絶妙なバランスで演じきっている。山﨑とは撮影期間中によく食事に出かけるなど、現場を離れても先輩・後輩のような良い関係だった。外村が仕事を始めてすぐに仲良くなる高校生姉妹役に、上白石萌音、上白石萌歌。実生活でも姉妹の二人ならではの雰囲気、距離感が、役柄にも滲み出ることを期待してキャスティング。初共演となる二人が、一番近くにいてお互いを高め合う、チャーミングな姉妹を演じている。

本作への出演にあたり、調律師役のキャスト陣は、前もって調律の練習を重ねていった。最初に練習を開始したのは、山﨑賢人。撮影の約3か月前から、東京の調律師学校を借り、ピアノの構造や調律の手順、道具の使い方などを習っていった。山﨑は言う。「この作品に参加するまで調律師という職業についてよく知らなかったんです。最初は、鍵盤を鳴らしたときの音の揺れ、整調・整音という言葉の意味など、わからないことだらけでした」。その後、三浦、鈴木、光石研も練習開始。クランクインしてからも調律のシーンがある日は、常に調律師の先生が撮影に同行し、それぞれの手つきや手順をチェックしていた。
さらに、鈴木亮平は劇中で演奏するドラムの練習も並行して行うことに。『シュアリー・サムデイ』(10)以来のドラム演奏シーンとなり、しばらくまったくドラムを叩いていなかったという鈴木だが、初回練習を見たスタッフたちは口を揃えて、「ずっと練習していたに違いない」と言うほどの見事なレベル。旭川市内のライブハウスで撮影されたライブシーンでは、プロのミュージシャンたちに交じってドラムの腕前を披露している。
母親がピアノの先生だと言う上白石姉妹だが、萌音は、幼稚園から小学一年までのピアノ経験しかなく、萌歌は習ったことがない。二人は出演にあたり、ピアノを猛特訓。都内のピアノスタジオで先生について練習したり、家のピアノで練習するなどし、その腕はめきめきと上達していった。
クランクイン直前には、山﨑が助監督と調律師の先生とともに、北海道の美瑛町で2泊3日の調律合宿を行った。原作の宮下奈都がかつて1年間、北海道のトムラウシ集落に家族で山村留学していた経験があり、原作の外村の設定やキャラクターにも、その経験が反映されている。携帯も通じないこの場所で森を体験し、森育ちの感覚を少しでもつかんでほしい、という監督の希望があってのことだった。
「調律師の方は、人それぞれ調律のスタイルは全然違うんですが、みんな繊細な音を探している。まるで手術するような手さばきで作業を進めていく。僕も、チューニングハンマーの持ち方、指の動かし方などを調律指導の方に教わりながら、丁寧に演じていきました」と山﨑は語る。

外村が都会の調律学校に通うシーン以外は、すべて北海道で撮影が行われた本作。2017年2月2日、北海道旭川市にて、柳が外村に「大事なのは調律の技術だけじゃない」と教える、車中のシーンでクランクイン。山﨑と鈴木は初日から打ち解けた雰囲気。その後撮影された、幼稚園で柳が調律するシーンでは、鈴木は完璧な手順で演技していく。その姿に刺激を受け、まさに外村のように真剣に調律に見入る山﨑の姿があった。鈴木は言う。「調律は、基本的にお客さんのピアノに対して行うので、丁寧に扱わないといけない。そういう仕事をしていると、普段の振る舞いや物の扱い方も、自然と変わっていく気がして。調律師ならではの佇まいは常に気にしつつ演じました」
三浦友和の初日となったのは、江藤楽器でアップライトピアノの調律を練習している外村に「こつこつ、こつこつです」とアドバイスするシーン。石黒Pは、「三浦さんの演技が素晴らしくて、板鳥のキャラクターの方向性がびしっと見えた気がしました。板鳥がまさにそこにいました」と振り返る。ちなみに、この江藤楽器は、旭川市にある煉瓦造りのレトロな建物をお借りして、美術部が飾り込んだもの。床を補強し、ピアノを8台持ち込んで、ファンタジー映画に出てきそうな雰囲気の楽器店を作り上げた。
本作で登場するピアノは、実際の調律師はメーカー関係なく扱うこともあり、意図的にいろいろなメーカーのものを使っている。コンサートシーンで舞台上に置かれているのは、実際にコンサートで使われることの多い海外メーカーのスタインウェイ・アンド・サンズのもの、和音と由仁の家にあるグランドピアノは、YAMAHAのコンパクトなサイズのもの、というように、シチュエーションに合わせたピアノを用意。ピアニストや調律師の方が見ても、違和感のないものを目指している。

外村が板鳥の鳴らすピアノの音を聞き、調律師の世界に魅せられる冒頭のシーンは、旭川市の春光台中学校にて撮影。こちらの体育館がロケ地に選ばれたポイントは、奥にある窓。通常、ただの壁になっていることが多いが、この窓があることで、雪景色などを見せることができた。
「森の匂いがした」という外村のナレーションとともに現れる森のシルエット。実はこれは、美術スタッフが用意した、木の形をした作りものに照明を当てるという、アナログな手法で作り出されている。監督はその揺れ方などにこだわり、何度も何度も撮影をくりかえした。石黒Pは言う。「森の匂い、木々の揺れる匂い、そして音を感じさせないといけないですし、ここはキャラクターを印象付ける大事なシーンでもある。そのため、かなり時間をかけて、細部までこだわって撮影は行われました」。このシーン、最初に板鳥が鳴らす、外村の人生を変えることになるピアノの一音は、調律の基準音である440ヘルツの「ラ」。その響き方などは音響効果チームが丁寧に作り上げた。
ちなみに板鳥がいつも持っているカバンは、大きくて四角張った、年季の入った革のもの。外村はもう少し小さく、新しいカバン、というように形、サイズなどにこだわって選んでいった。チューニングハンマーはメーカーによって柄の長さ、色などがさまざまだが、調律師の方にインタビューし、キャリアに合わせた道具を用意。小道具でもそれぞれのキャラクターを表現している。

和音と由仁の家は、木をふんだんに使って建てられた個人のお宅をお借りして、撮影を行った。山﨑と上白石姉妹はとても打ち解け、空き時間はリラックスしたムード。山﨑が「きらきら星」をピアノ演奏したり、3人で連弾したり、萌音と萌歌の連弾を山﨑が指揮してみたり。萌音は言う。「山﨑さんは、つねに現場の空気を柔らかくしてくださる存在。鈴木さんも一緒だと、お腹が痛くなるぐらい笑わせていただくことも(笑)。でも、外村になるとガラッと変わるので、間近でお芝居を見ながら感激していました」。一方萌歌も、「すごく楽しい方。青春映画で拝見し、華やかでキラキラした方というイメージだったんですが、外村さんの役に入る瞬間にその色をさっと消している感じがして、どうやって切り替えをしていらっしゃるんだろう?と思いました」
現場での橋本監督は、キャストと対話しながら、そのときの登場人物の心の状態を丁寧に説明しつつ、演出していく。たとえば、江藤楽器の事務所で、柳から結婚パーティーの招待状を渡された外村が、ピアノの調律を頼まれるシーン。監督は山﨑に、外村の目線がどこになると思うかと問いかけ、答えに同意した上で、外村の心理についての自身の解釈を伝えていく。さらに、このシーンでこだわったのは、外村が「やります」と答える時の表情。最初はにこやかな笑顔だったが、リハーサルと話し合いを繰り返すうちに、より真剣な、何かを決意したような表情に変わっていく。「このぐらい成長した目がいいね」と監督。そして本番、4回目でOKが出ると山﨑はぱっと笑顔に。
江藤楽器での撮影は5日間、メンバー5人(山﨑、三浦、鈴木、光石、堀内敬子)が揃った撮影は3日間だけだったが、現場は和やかなムードで、掛け合い芝居も、「芸達者ばかりだから言うことない」と監督がつぶやくほど息ぴったり。三浦は「山﨑くんは、すでにたくさんの現場を経験していますから、現場での居方がとてもいいなあと思いながら見ていました」と振り返っている。

本作は3月上旬にいったん冬パートの撮影が終了し、それから約3か月後の6月頭から、夏パートの撮影が行われた。
和音が、結婚パーティーの会場で、外村の調律したピアノでショパン「ピアノソナタ第3番ロ長調作品58(第4楽章)」を弾き、ある決断をするシーン。実は結婚パーティーのシーンは冬に撮影していたが、この曲は弾きこなすのがかなり難しく、萌音も「もう一度チャレンジしたい」と願いでた。こつこつ努力を重ね、夏パートの撮影時に改めて撮影することとなった。萌音は、練習の成果を発揮し、難しい演奏シーンを見事に演じきった。また、水の底から和音が浮かんでくるイメージカットは当初の予定にはなく、夏パートの撮影前に監督がプラスしたシーン。萌音は、このために潜水の練習も行った。
外村の実家のシーンは、美瑛町の邸宅にて撮影。すぐそばに森のある家を探し、ようやく見つけた場所である。本編のクランクアップは、6月10日、外村が雨の中、実家の庭で弟と会話するシーン。もともと雨の設定ではなかったが、天気に合わせて前夜、急遽脚本を書き替えた。江藤楽器のメンバーとのシーンでは、かわいがられる側だった山﨑だが、弟役の佐野勇斗とのシーンではしっかりとしたお兄さんぽい雰囲気。一方、佐野は、普段から山﨑賢人に憧れており、本当の兄弟のような空気感が自然と生まれることとなった。

日常にある音を拾い集めていく音楽家、調律師ならではの感覚を、音でも表現することを目指した本作。世武裕子が担当した劇伴は、“語らない。だが語るところは語る”というバランスを意識して制作された。森の中で外村が音を感じて調律に再び向き合うことを決めるシーンは、静かな世界にピアノの音が重なっていき、いつの間にか音楽に変わっていくという、効果音と劇伴が一体化していく作りになっている。
劇中で、ピアノ演奏される曲は、11曲。脚本の段階から、監督とプロデューサー陣、そして音楽プロデューサーが話し合い、弾いている人のキャラクターとそのときの心情に合う曲を選んでいった。たとえば、最初に和音が弾くのは、ラヴェルの「水の戯れ」、由仁はショパンの「蝶々」。これらはプロを目指すレベルの高校生が弾く曲から選んでいる。
また、美しい映像も本作の魅力。今回使用したのは、最高級のスーパーアナモフィックレンズ。邦画ではめったに使われない、この高級レンズで、北海道の美しい風景を多数カメラに収めたほか、雪の結晶やダイヤモンドダストなどを撮影。普段なかなか見ることのできない映像を、ぜひ大スクリーンで堪能してほしい。